月記 2021年3月『ウォーターマンと大阪大空襲』(English Version is Below.)
私は文具が好きで、新しいノートを買うと真っ白な紙面を見たり触ったりしてしばらく楽しみ、それからお気に入りの筆記具で字を書くのがたまらない。祖母も好きだったようで、いつかウォーターマンの万年筆を買いなさいと、生前よく言っていた。そして、その後に失くした万年筆の話が続く。
まだ祖母が三十代だった頃、お気に入りのウォーターマンの万年筆で日記を毎日つけていたらしい。3月のある日、いつものように書き、ノートを閉じてペンをその上にポンと置いて出かけた。大阪の家から兵庫の友人の家に泊まりに行ったらしい。その夜、大阪は激しい空襲にあった。翌日帰ると家も何もかも焼けてしまっていたという。
成人してからこの話を思い出し、調べてみると3月13日のことだと知った。(大阪大空襲は3月、6月、8月と複数回にわたって行われたが、3月と祖母が言っていたのでこの日だろう。)今から76年前の今日のことである。この空襲は悲惨なものであったはずだが、祖母は焼け野原で見たであろうものを少しも話さなかった。そのため私が想像する映像はノートとその上に置いてある万年筆に集中している。しかし3月が来る度に、あるいは私の大好きな万年筆のことを考える度に大阪大空襲が、そして戦争のことが頭に浮かぶ。
この話は風船の紐のように、私と遠い過去とをつなげている。空襲によって亡くなった人たちと彼らのあったはずの未来、そして語られずに消えていった無数の思い出や事柄を思う。私は断固として戦争に反対する。
http://marihikohara.com/works/gekki-2021-03/
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Monthly Diary: March, 2021
I love stationery. One of the best moments is to write with my favorite pen on a new notebook after enjoying just looking at and touching white blank paper.
My late grandmother was also a stationery lover . She used to say to me, "You should get WATERMAN's fountain pen someday" and also told me again and again the following story: When she was in her thirties, she kept a diary with her favorite WATERMAN's fountain pen. One day in March, she finished writing and went out to visit her friend in Hyogo. On that night, the bombing of Osaka happened. Next day she went back to her house in Osaka and found everything was burned and lost.
76 years ago today, 13th March.
She never told me what she had seen there at that time, so that only her pen on the diary could be visualized in my head. However, in every March and every time I think of WATERMAN's fountain pens, it reminds me of my grandmother's story and the War.
That story is like a string of balloon which connects me to the distant past. It makes me think about those who were killed, and their futures, otherwise, they could have lived and uncountable memories and numerous stories that had never been told.
I am strongly against war.
http://marihikohara.com/en/works/monthly-diary-waterman-and-the-bombing-of-osaka/?lang=en
同時也有3部Youtube影片,追蹤數超過1萬的網紅King07T,也在其Youtube影片中提到,超重爆撃機B-29に搭載されたライトR-3350発動機が紀伊山地の奥で発見。 昭和20年6月1日の大阪大空襲の際に、被弾したB29が奈良県 天川村の山上ヶ岳の深さ500メートルほどの谷底に墜落。 機体の 大部分はアメリカ軍が解体して回収したが、巨大なエンジン1つがそのまま現場に放置されていた。 その...
大阪大空襲 在 King07T Youtube 的最佳貼文
超重爆撃機B-29に搭載されたライトR-3350発動機が紀伊山地の奥で発見。
昭和20年6月1日の大阪大空襲の際に、被弾したB29が奈良県 天川村の山上ヶ岳の深さ500メートルほどの谷底に墜落。
機体の 大部分はアメリカ軍が解体して回収したが、巨大なエンジン1つがそのまま現場に放置されていた。
その後2006年7月に墜落現場から回収され、天川村立資料館に保存・展示されている。
R-3350デュプレックスサイクロン
主要諸元(R-3350-23)
タイプ:空冷二重星型18気筒
ボア×ストローク:155.6 mm×160.2 mm
排気量:54.56 L
離昇馬力:2,200 hp/2,800rpm
大阪大空襲 在 一二三渡辺 Youtube 的最讚貼文
日本さくら名所100選 桜ノ宮 造幣局 通り抜け 造幣局 桜の通り抜け 造幣局 お花見 桜樹木約120品種
桜並木一般公開
大阪市北区の旧淀川沿いに位置する本局は藤堂家大坂屋敷の土地にあり、同家が植栽していた桜樹木約120品種、約400本が造幣局へ引き継がれている。造幣局長遠藤謹助が「役人だけが花見をしていてはいけない」と1883年(明治16年)に一般公開を始めて以降、大阪大空襲で多くを焼失したが職員らが蒐集し多品種の桜並木が復元され、日本さくら名所100選に選定されるなど毎年4月中旬から下旬の開花時期に春の伝統行事として賑わう。
一般公開は川崎橋方向の南側ゲートから入場し桜宮橋方向の北側ゲートへ抜ける一方通行で「通り抜け」と呼ばれ、夜間照明により日没後も夜桜鑑賞ができる。桜の品種は「ソメイヨシノ」が特段著名だが他一品種を「今年の桜」として毎年紹介している。
太平洋戦争空襲被災の1943年から1946年以外は毎年開催されている。 2009年は4月15日(水)から4月21日(火)に開催され「今年の桜」に『平野撫子』(ひらのなでしこ)が選定。 2010年は4月14日(水)から4月20日(火)に開催され「今年の桜」に『都錦』(みやこにしき)が選定された。 2011年は東日本大震災に際し内外での開催反対意見を抑え、震災の電力危機により夜桜ライトアップを取り止めた縮小規模で昼間開催され、開催7日間に1000万円余が募金箱へ集まった。
1967年に大阪から桜が移植された広島支局でも、1991年以降毎年開花時期に「花のまわりみち」として一般開放されている。
大阪大空襲 在 一二三渡辺 Youtube 的最讚貼文
独立行政法人造幣局 桜並木一般公開 日本さくら名所100選 桜ノ宮 造幣局 通り抜け 造幣局 お花見 桜樹木約120品種
桜並木一般公開
大阪市北区の旧淀川沿いに位置する本局は藤堂家大坂屋敷の土地にあり、同家が植栽していた桜樹木約120品種、約400本が造幣局へ引き継がれている。造幣局長遠藤謹助が「役人だけが花見をしていてはいけない」と1883年(明治16年)に一般公開を始めて以降、大阪大空襲で多くを焼失したが職員らが蒐集し多品種の桜並木が復元され、日本さくら名所100選に選定されるなど毎年4月中旬から下旬の開花時期に春の伝統行事として賑わう。
一般公開は川崎橋方向の南側ゲートから入場し桜宮橋方向の北側ゲートへ抜ける一方通行で「通り抜け」と呼ばれ、夜間照明により日没後も夜桜鑑賞ができる。桜の品種は「ソメイヨシノ」が特段著名だが他一品種を「今年の桜」として毎年紹介している。
太平洋戦争空襲被災の1943年から1946年以外は毎年開催されている。 2009年は4月15日(水)から4月21日(火)に開催され「今年の桜」に『平野撫子』(ひらのなでしこ)が選定。 2010年は4月14日(水)から4月20日(火)に開催され「今年の桜」に『都錦』(みやこにしき)が選定された。 2011年は東日本大震災に際し内外での開催反対意見を抑え、震災の電力危機により夜桜ライトアップを取り止めた縮小規模で昼間開催され、開催7日間に1000万円余が募金箱へ集まった。
1967年に大阪から桜が移植された広島支局でも、1991年以降毎年開花時期に「花のまわりみち」として一般開放されている。