「以不變應萬變」是理想?還是存在於現實呢?
看看年輕闖王怎麼說吧!
PS:除了早期錄製不太注意燈光和造型之外,內容還真的挺不錯的。供大家參考!
【分享】(是否有一種「以不變應萬變」的大絕招?)
我喜歡太極拳,曾經學習過一段時間,儘管沒有累積下來太多的功力,但是我特別喜歡太極拳經的打手歌,裡頭一句「任他巨力來打我,牽動四兩撥千斤」。多麼豪邁的一句話啊!
我認為學習也是如此。高手應當能進入「無招勝有招」的境界!
在考研究所那個時候,因為補習和讀書的關係,認識了一些一起讀書的好朋友。
有一個好朋友,偶而和我一起在讀書時遇到,會相互問候、討論問題!但他也和我吐苦水,說有一個另外的朋友常常打擊他,會用類似「你......也不知道,這樣怎麼敢去考試?!」「唉唷!你只讀這樣,我看乾脆別去考了吧?」...等等的話去酸我朋友,挫敗他的自信!
當然,無論我朋友程度是好是壞,總是應該以正面的話與鼓勵他,哪有這種朋友。我心裡覺得不適很舒服...我想,如果有機會見面的話,必定要挫其威風!
(或許是上帝的安排,有一次機會來了....)
儘管我立志非台、清、交大不念,但當時我還是報名了七間學校,淡江是第一間考試的,也是我唯一報名的私立學校,我把他當作模擬考。
早上到教室外面後,翻看自己的筆記,準備等待考試。
這時候,我看到一個很奇特的現象,有一個年紀和我們相仿,估計不是教授的人,在那裏探頭探腦,東走走西看看,到處去和現場考生招呼、攀談,詢問其他考生準備狀況。我一聽他說話的調調,估計是我同學描述的那位,應該沒錯!我想,若敢來靠近我,我當會找機會"回報"!
果然,三分鐘之內,攀談現場4、5名考生,大家不太理他,我刻意抬頭,眼神和他對望一下。他毫不猶豫,走到我身邊蹲下,說「同學,你也是來考試的嗎?」
「是啊!」
「這樣啊!那你讀的怎麼樣?」「什麼怎麼樣?還好吧!」
「你高微讀哪一本?」「喔!我讀Wade那一本...」
這時,他露出了自信、輕蔑的微笑,說道「喔!Wade那一本喔!那一本是不錯啦,但是第一部分簡直是個『屁』!」
我心想,好大的膽子啊!就算Wade是新生代的年輕教授,好歹也是大師級的,才敢出這種基本科目的教科書。Wade的書,前半段是微積分的深入剖析,把微積分的基礎定理仔細解釋;而第二部分,才是所謂的高微或是分析。
當時我因為是物理系背景,要用四個月跨考數學研究所,英文閱讀能力又不好,我是去請教補習班老師我的狀況後,他才推薦我讀Wade那本書。後來我聽老師的話,紮紮實實的K,剛開始一個上午,只能看2頁不到,但持續堅持,到考前也不過讀完Part 1的2/3而已。(當然,我其實有搭配其他的高微筆記和原文書)
他竟然說「那是個屁!」
我想,還模不清楚他的底,先稍安勿躁!只笑笑的回說「喔...這樣啊?」
不多久,考試的鐘聲響了,大家進入考場,考的第一科,就是高微(高等微積分)。
考試的時候,我看到題目會笑,因為太簡單了!
第一堂考完後,我想在淡江的地理環境不熟悉,中午就不去吃午餐了,怕來回耽誤時間。於是就繼續在教室準備第二科(下午)的考試。
過了半個小時之後,考生陸陸續續回來教室,雖然大家彼此不認識,有些考生還是互相詢問考試狀況。我一邊讀書,但也很好奇是否大家都覺得很簡單,所以耳朵也是豎直了聽...
竟然是一陣哀號遍野的慘況,包含...那位同學!!!嘿嘿,機會來了!
當他又靠近我的時候,我就主動問了,「剛剛的高微很簡單吧?你應該考得很好吧!」
他說,「很簡單?!不會吧?那很難耶!你...覺得...很簡單?」
「是啊!滿基本的,都沒超過『微積分』的範圍ㄟ!」
「真的嗎?怎麼可能!!!那我問你,....(某一題)...你怎麼做?」
我回應,「那很簡單啊!就用....(某某定理)...就搞定啦!(我還口頭分析使用特徵與原因...)」
「啊?」(表清呆滯、停頓!)「那....(另一題)...你怎麼做?」
我說,「喔!那一題啊!更簡單了,只要...(如何如何)....就搞定了!」
「不可能吧?你真的每一題都會?」「還好吧!只是微積分耶!」
他又陸續問了幾題,見我侃侃而談,還解釋解題線索與原因....
他...嚇傻了!「....」
只有默默回到自己座位,準備線性代數的考試了。
為什麼我會有這等表現呢?因為理念、形勢和運氣....
(1) 理念:我在教學生的時候,很重視基礎。我相信那是根本,所以我好好K「微積分」,考試之前,我把微積分讀了至少四遍!當時Wade裡面所教的定理證明、例題說明,我都很仔細去想「為什麼」,把前因後果想通!
(2) 形勢所逼:因為剛接觸連數學系學生都聽不懂的高等微積分時,我根本不知那那是什麼。由於高微看不懂,補習班上課筆記整理完之後,就放一邊,只能傻傻地看微積分(有點兒逃避高微)。儘管大家都覺得微積分和高頂微積分的內容看起來沒有關連性,但我只是想「既然稱之為『高等』微積分,想必基礎在於微積分」。
(3) 運氣:我放下高微不看,只熟讀微積分,到考前一周才發現,趕緊讀高微。那時雖速度突飛猛進,但是真正在考淡江之前讀懂的高微不到整體的10%。還好,淡江當年只考稍微深入一點的微積分而已。
所以,我展現出出人意料的表現。後來,七間研究所的考試成績放榜之後,我除了台大和中正大學的高微只有50幾分,其餘每一間的高微成績,沒有低於90分的。這在於考生平均30分的超級難科裡,是相當誇張的高分!
我只是把基礎練好了,後面的內容就如飛似的進展,突飛猛進。
就好像張無忌學會了「九陽神功」和「乾坤大挪移」之後,對於任何武學心法,腦中瞬息流轉,就能融會貫通,使出最高境界的其他拳術!當時,我的感受就如同這樣...真的,很爽!
我的理念就是,你如果理解並掌握了某些基礎的事物,那麼無論外界如何的變化,用再華麗的外表包裝(「任他巨力來打我」),你都還是可以掌握他核心的本質,並且一舉擊破!(「牽動四兩撥千金」)
這也才是掌握真正學習的精隨!
後記,至於我羞辱那位同學,只是順便的!
同時也有10000部Youtube影片,追蹤數超過2,910的網紅コバにゃんチャンネル,也在其Youtube影片中提到,...
「武 動 乾坤 後記」的推薦目錄:
- 關於武 動 乾坤 後記 在 年輕闖王 尚明 Facebook 的精選貼文
- 關於武 動 乾坤 後記 在 年輕闖王 尚明 Facebook 的最佳貼文
- 關於武 動 乾坤 後記 在 國立臺北大學National Taipei University Facebook 的最佳貼文
- 關於武 動 乾坤 後記 在 コバにゃんチャンネル Youtube 的最讚貼文
- 關於武 動 乾坤 後記 在 大象中醫 Youtube 的精選貼文
- 關於武 動 乾坤 後記 在 大象中醫 Youtube 的最佳貼文
- 關於武 動 乾坤 後記 在 武動乾坤:林動突破祖境,進入大千世界後又發生了什麼? 的評價
- 關於武 動 乾坤 後記 在 武动乾坤第4季第975集: 熟人 的評價
武 動 乾坤 後記 在 年輕闖王 尚明 Facebook 的最佳貼文
【分享】(是否有一種「以不變應萬變」的大絕招?)
我喜歡太極拳,曾經學習過一段時間,儘管沒有累積下來太多的功力,但是我特別喜歡太極拳經的打手歌,裡頭一句「任他巨力來打我,牽動四兩撥千斤」。多麼豪邁的一句話啊!
我認為學習也是如此。高手應當能進入「無招勝有招」的境界!
在考研究所那個時候,因為補習和讀書的關係,認識了一些一起讀書的好朋友。
有一個好朋友,偶而和我一起在讀書時遇到,會相互問候、討論問題!但他也和我吐苦水,說有一個另外的朋友常常打擊他,會用類似「你......也不知道,這樣怎麼敢去考試?!」「唉唷!你只讀這樣,我看乾脆別去考了吧?」...等等的話去酸我朋友,挫敗他的自信!
當然,無論我朋友程度是好是壞,總是應該以正面的話與鼓勵他,哪有這種朋友。我心裡覺得不適很舒服...我想,如果有機會見面的話,必定要挫其威風!
(或許是上帝的安排,有一次機會來了....)
儘管我立志非台、清、交大不念,但當時我還是報名了七間學校,淡江是第一間考試的,也是我唯一報名的私立學校,我把他當作模擬考。
早上到教室外面後,翻看自己的筆記,準備等待考試。
這時候,我看到一個很奇特的現象,有一個年紀和我們相仿,估計不是教授的人,在那裏探頭探腦,東走走西看看,到處去和現場考生招呼、攀談,詢問其他考生準備狀況。我一聽他說話的調調,估計是我同學描述的那位,應該沒錯!我想,若敢來靠近我,我當會找機會"回報"!
果然,三分鐘之內,攀談現場4、5名考生,大家不太理他,我刻意抬頭,眼神和他對望一下。他毫不猶豫,走到我身邊蹲下,說「同學,你也是來考試的嗎?」
「是啊!」
「這樣啊!那你讀的怎麼樣?」「什麼怎麼樣?還好吧!」
「你高微讀哪一本?」「喔!我讀Wade那一本...」
這時,他露出了自信、輕蔑的微笑,說道「喔!Wade那一本喔!那一本是不錯啦,但是第一部分簡直是個『屁』!」
我心想,好大的膽子啊!就算Wade是新生代的年輕教授,好歹也是大師級的,才敢出這種基本科目的教科書。Wade的書,前半段是微積分的深入剖析,把微積分的基礎定理仔細解釋;而第二部分,才是所謂的高微或是分析。
當時我因為是物理系背景,要用四個月跨考數學研究所,英文閱讀能力又不好,我是去請教補習班老師我的狀況後,他才推薦我讀Wade那本書。後來我聽老師的話,紮紮實實的K,剛開始一個上午,只能看2頁不到,但持續堅持,到考前也不過讀完Part 1的2/3而已。(當然,我其實有搭配其他的高微筆記和原文書)
他竟然說「那是個屁!」
我想,還模不清楚他的底,先稍安勿躁!只笑笑的回說「喔...這樣啊?」
不多久,考試的鐘聲響了,大家進入考場,考的第一科,就是高微(高等微積分)。
考試的時候,我看到題目會笑,因為太簡單了!
第一堂考完後,我想在淡江的地理環境不熟悉,中午就不去吃午餐了,怕來回耽誤時間。於是就繼續在教室準備第二科(下午)的考試。
過了半個小時之後,考生陸陸續續回來教室,雖然大家彼此不認識,有些考生還是互相詢問考試狀況。我一邊讀書,但也很好奇是否大家都覺得很簡單,所以耳朵也是豎直了聽...
竟然是一陣哀號遍野的慘況,包含...那位同學!!!嘿嘿,機會來了!
當他又靠近我的時候,我就主動問了,「剛剛的高微很簡單吧?你應該考得很好吧!」
他說,「很簡單?!不會吧?那很難耶!你...覺得...很簡單?」
「是啊!滿基本的,都沒超過『微積分』的範圍ㄟ!」
「真的嗎?怎麼可能!!!那我問你,....(某一題)...你怎麼做?」
我回應,「那很簡單啊!就用....(某某定理)...就搞定啦!(我還口頭分析使用特徵與原因...)」
「啊?」(表清呆滯、停頓!)「那....(另一題)...你怎麼做?」
我說,「喔!那一題啊!更簡單了,只要...(如何如何)....就搞定了!」
「不可能吧?你真的每一題都會?」「還好吧!只是微積分耶!」
他又陸續問了幾題,見我侃侃而談,還解釋解題線索與原因....
他...嚇傻了!「....」
只有默默回到自己座位,準備線性代數的考試了。
為什麼我會有這等表現呢?因為理念、形勢和運氣....
(1) 理念:我在教學生的時候,很重視基礎。我相信那是根本,所以我好好K「微積分」,考試之前,我把微積分讀了至少四遍!當時Wade裡面所教的定理證明、例題說明,我都很仔細去想「為什麼」,把前因後果想通!
(2) 形勢所逼:因為剛接觸連數學系學生都聽不懂的高等微積分時,我根本不知那那是什麼。由於高微看不懂,補習班上課筆記整理完之後,就放一邊,只能傻傻地看微積分(有點兒逃避高微)。儘管大家都覺得微積分和高頂微積分的內容看起來沒有關連性,但我只是想「既然稱之為『高等』微積分,想必基礎在於微積分」。
(3) 運氣:我放下高微不看,只熟讀微積分,到考前一周才發現,趕緊讀高微。那時雖速度突飛猛進,但是真正在考淡江之前讀懂的高微不到整體的10%。還好,淡江當年只考稍微深入一點的微積分而已。
所以,我展現出出人意料的表現。後來,七間研究所的考試成績放榜之後,我除了台大和中正大學的高微只有50幾分,其餘每一間的高微成績,沒有低於90分的。這在於考生平均30分的超級難科裡,是相當誇張的高分!
我只是把基礎練好了,後面的內容就如飛似的進展,突飛猛進。
就好像張無忌學會了「九陽神功」和「乾坤大挪移」之後,對於任何武學心法,腦中瞬息流轉,就能融會貫通,使出最高境界的其他拳術!當時,我的感受就如同這樣...真的,很爽!
我的理念就是,你如果理解並掌握了某些基礎的事物,那麼無論外界如何的變化,用再華麗的外表包裝(「任他巨力來打我」),你都還是可以掌握他核心的本質,並且一舉擊破!(「牽動四兩撥千金」)
這也才是掌握真正學習的精隨!
後記,至於我羞辱那位同學,只是順便的!
武 動 乾坤 後記 在 國立臺北大學National Taipei University Facebook 的最佳貼文
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=649552318437310&set=a.149166675142546.30576.149164951809385&type=1
Taiwan San-Tai-Zi N.O.61 country: Panama.
台灣三太子第61個國家: 巴拿馬
台灣三太子來到第61個國家,帶著各國特色舞團,持續攻城掠地中!
其實一開始真的也不知道有能力到達這麼多國家,也不知道可以到達60,進而100,但在不放棄、不斷嘗試、硬幹,還有各大贊助商、台灣人的支持,以及各國商會、僑胞甚至外國人的支援之下,讓我一路前進到了這裡,今天幸運地突破了當初的目標60國,希望接下來在大家以及各路支援之下,順利、安全讓台灣三太子走完一百國,完成影片,感動世界!
而在巴拿馬,也要特別感謝台灣駐館的周麟大使與館員,在拍攝方面提供給我的多所協助!也願意在接下來的其餘中南美、加勒比海國家幫助我協調相關事項。也謝謝巴拿馬台灣商會全體會員,給予我最真誠的招待!
以下是日本著名攝影師/記者都築響一先生對台灣三太子的大篇幅報導,歡迎大家分享給日本朋友!
**************************************
ROADSIDERS' weekly
電音三太子、世界を行く!
ものすごくギラギラで、ものすごく大きな被り物をかぶって、ものすごくチープなテクノ・ミュージックに乗って、祭りの爆竹スモークのなかを踊りまくる「電音三太子」。こころある台湾知識人の眉をひそめさせ、祭りに酔う子どもたちを熱狂させる、現代台湾が生んだひとつのカルチャー・アイコンだ。
台湾南部・麻豆の地にそびえる珍寺・麻豆代天府を紹介した今年1月16日号のメルマガ後記で、電音三太子を僕はこんなふうに書いた――。
台湾は韓国と並んで、激しい受験戦争で知られています。小学校どころか幼稚園から塾通いという子供もたくさんいて、日本よりもはるかにタフな環境で、子供たちは日々戦ってます。
で、当然ながら脱落者も出てくる。その受験戦争から落ちこぼれた子供たちはどこへ行くのかと思って、現地の友達に聞いてみたら、「お祭りで踊るんです」と!
朴子電音三太子
お祭りで踊らないか、と先輩や友人から誘いがかかると、台湾ではそれが不良化への重要な第一歩だそう。誘いかけるのはだいたい街の不良グループで、子供の親たちは「うちの子が祭りの踊りに誘われた、どうしよう」とオロオロするのだとか。
祭りで練り歩く若者たちを見てみると、たしかに黒の革ジャンやジャージをワルな感じで着こなしているタイプが多く、ちょっとヒップホップというか、ギャングスタな雰囲気。
なかでも人気なのは「かぶりもの」を身につけた神様役で、顔が見えないという利点を活かし、廟会で踊りまくるのがお約束。麻豆代天宮でも、そんなかぶりものの神様が活躍していました。
聞いたところでは、そういう神様役のうちでも、最近は「電音三太子」と呼ばれるキャラが大人気だとか。三太子とは「ナタ」とも呼ばれる道教の少年神で、「蓮の花や葉の形の衣服を身に着け、乾坤圏(円環状投擲武器)や混天綾(魔力を秘めた布)、火尖鎗(火を放つ槍)などの武器を持ち、風火二輪(二個の車輪の形をした乗り物。火と風を放ちながら空を飛ぶ)に乗って戦う」(wikipediaより)のだそう。
下營玄天上帝廟遶境―電音三太子
「電音」とは、漢字から察せられるようにテクノ系のダンスミュージック。なので「電音三太子」とは、ちゃらいテクノ・ディスコに乗って、廟会や各種イベントで踊りまくる、新たなタイプのパフォーマーなんですね。
不良のお祭りダンスといえば、我が国では「よさこいソーラン」にとどめをさすわけですが、「電音三太子」はその台湾版なのかも。ドロップアウトと音楽とダンスが結びつくなんて、ちょっとうれしいというか。
数ある人気三太子チームたちのパフォーマンスを、なんとか地元で見たいものだといろいろ調べていたところ、祭りの三太子パフォーマンスのかわりに、なんとひとりの台湾人青年が、三太子の扮装を抱えて世界中をめぐり、三太子パフォーマンスを繰り広げているという仰天ニュースに遭遇。さっそくコンタクトを取って、台北在住のアーティスト・大塚麻子さんにインタビューをお願いした。重量17キロにのぼるという三太子の扮装とともに、いまも世界のどこかで踊っているはずの台湾青年、その名を呉建衡(ウー・ジェンヘン/Ed Wu)という。
台湾南西部の雲林県出身、1988年生まれという呉建衡はいま25歳の好青年だ。最高学府のひとつである国立台北大学のレクリエーションスポーツ管理学科に進んだ。2011年、バックパッカーとしてインド旅行に出る直前に「三太子を連れていくこと」を思いつき、以来現在(2013年5月)までに35カ国をめぐり、さらに「2014年末までに、三太子を連れて世界100カ国を来訪して映像を完成、世界を感動させる」目標に向かって、いまも旅の途上にある――。
19歳ではじめてニューヨーク、ボストンを個人旅行してから、半年ごとにどこかへ出国するようになりました。大学に通いながら、アルバイトをして旅費を貯めて。
旅のさきざきで、台湾のことをまったく知らない外国人によく出会いました。タイの種族のひとつだろうとか、タイ語を話し、タイフードを食べてるひとたちのことだろうとか・・・。アジアは日本しか知らない、というひとたちも多かったんです。
2010年の夏休みにアメリカのディズニーランドで3ヶ月間アルバイトをしたのですが、そのときも同じ反応に出会って、これはなんとかしなければならないと思うようになりました。
でも、具体的なきっかけは、2008年にシンガポールで開催された、世界コンピューターゲーム大会(WCG)に参加したときの「国旗取替え事件」でした。
当時19歳だった僕は、光栄にも台湾チームの旗手として、台湾の国旗を掲げて開幕のステージに上がることになっていたんです。参加したアジア16カ国の代表の国旗は、大会本部のほうで用意していたのですが、我々のために用意された国旗は青天白日満地紅旗でした (中華民国の国旗、1970年代以降に中華人民共和国が「中国」代表として国際的に定着していくなかで、しだいに台湾国内以外では使用されなくなっていき、オリンピックやFIFAワールドカップでも現在、公式には掲揚されていない) 。僕らのチームのあいだでは、「大会主催者は、我々が国際舞台で面している国旗問題を知らないようだ」と、黙って見守っていたんです。
ステージ上右から2番めが、19歳当時の呉青年
ところが開幕の20分前になって、シンガポール人の大会スタッフが、「きみたちの国旗はこれじゃないんだって?」と聞いてきました。僕は「間違いありません、これです」と答えながら、悪い予感を抑えることができませんでした。
あとでわかったのですが、大会スポンサーであるサムスン上層部の韓国人が、台湾は青天白日満地紅旗を使えないと指摘したというのです。けっきょく、開幕間際になって、旗を立てるポールが足りなかったのか、我々の青天白日満地紅旗が、みんなの目の前で無惨に地面に倒され、旗が取り外されると、どこから持ってきたのか、白いビニールにプリントされたチープな大会旗が代わりに取り付けられました。
その一瞬、時間が止まり、その場にいたすべてのひとたちの視線が僕に注がれるのを感じたんです。旗が取り替えられて、表面上はなにもなかったかのように見えましたが、心の中は堪え難い気持ちでした。全代表選手の目の前で自分の国家の国旗が地面に倒され、取り替えられてしまうなんて・・・こんな待遇は台湾にしかあり得なません。
でも、そこで大騒ぎして大会をボイコットしたりすれば、他のチームの笑い話になるだけだし、主催者も今後台湾を招待できなくなる。ニュースで報道されたとしても、それで台湾の立場が良くなることはまったくないでしょう。
この事件を通じて僕が悟ったのは、いくら政治力を使って無理押ししても、勝てる見込みはまったくない。我々はソフトな、自分たちなりのやりかたで国と自分を表現していくしかないのだということでした。
そうして三太子との旅が始まるわけですが、最初は2011年2月、インドに行ったときです。もともとは単なるバックパック旅行を計画していたのですが、出発の5日前になって、突然ひらめいたんです、三太子を持って行こう!って。
それで5日間のうちに装備、音楽の準備、ダンスステップの練習、すべてを用意して。仲のいい友達10人ぐらいにアイデアを話したんですが、「まぁいいんじゃないの、がんばれよ、ハハハ・・・」みたいな感じで、だれにもまったく相手にされませんでした。
たぶん、実際それがどういうことになるのか、だれもイメージできなかったんだと思うんです。だれも僕がほんとにやるとは思わなかったというか。実際、これはかなり突飛なアイデアではありましたし。
でも、そのときインドで撮ったビデオの反応が意外によくて、同じ2011年の8月から9月にかけてのアフリカ・ツアーのときは、企画書を書いてスポンサーを探したんです。そしたら北港朝天宮(雲林県にある有名寺院・媽祖廟の総本山といわれる)が、費用を負担してくれることになりました。それからはいろいろなコンペで経費を得て、旅を続けています。
これまでインド、エジプト、ケニア、南米と、特に恵まれているわけではない国を選んだのは、その国の人々に三太子を紹介するのが主な目的ではなくて、そこで踊って、撮ったビデオが欧米やアジアのひとたちの目に止まって、それが最終的に国際的なニュースに載ることを目的としているからです。
2011年アフリカ編動画
ですからインドとアフリカのビデオがみなさんに愛されて、支持を得て、ほんとうにうれしかった。今回の南米行きでは、もっとおもしろいロケーションを探して、もっと支持を得て、外国のメディアに注目されるようにがんばりたいと思ってます。それが台湾を知ってもらうことにつながるのですから。
確かに台湾社会では廟会(中国寺院での祭礼・日本の縁日にあたる)文化に、ネガティブな見方もあります。台湾人の廟会文化に対する見方は、簡単に説明するのは難しいのですが、僕は台湾特有の重要な文化だと思っています。台湾政府にそれをきちんと保存しようという考えがないのは残念ですが。
なぜ三太子なのかとたくさんの人に聞かれますが、台湾を宣伝するのにスポンジ・ボブというわけにはいかないし、僕自身は宗教信仰と関係なく、ただ単純にイメージが結びついただけのことです。電音三太子のイメージを借りて、ビデオを撮っているだけというか。
3年前にこの計画を思いついたとき、ちょうど女性歌手・王彩樺の三太子を使った曲がすごく流行っていて、僕が撮りたいと思っていたビデオに三太子のイメージがぴったりだったんです。それに三太子は外国人に注目されやすいし、ある意味、台湾を代表する要素を持っていると思ったので。
王彩樺はK-POPのT-ARAの原曲をもとに、三太子をMVに登場させてヒット。いまは台湾の浜崎あゆみを勝手に名乗っている43歳の芸能人
台湾の信仰や祭祀に詳しいひとたちは、三太子や電音三太子にも特別な尊敬や信仰の念がありますから、肯定的に見てくれますし、ネット上の酸民(皮肉的なネチズン)は、電音三太子は台湾を代表するものではないし、むしろ恥ずかしいものだと。僕のことも、三太子を踊っている悪ガキと大して変わらないと思われていたり。だから評価は両極端ですねえ。
でも三太子には、最初は物事を知らず、大暴れして人も殺したが、後には間違いを改め、勇敢に戦い、最後は親に迷惑をかけないために自決したという神話があります。
年寄りたちは、僕のしていることは三太子が僕に託しているのだと言うんですね。そんな光栄は僕には荷が重すぎますが、もし結果的にそのようなことがあるのだとすれば、僕はいつも問題を解決し、困難に立ち向かう勇気を与えてくれる三太子に感謝したい。また、三太子も現在の台湾の困難な現状(世界に認められない国家)を見て、なんとかしようとして僕にこの機会を与えてくれたのだと思うようにしています。
だから、僕はいつも三太子に感謝の祈りを捧げています。旅の途中で困難や挫折にあわないようにではなくて、困難や挫折に立ち向かう勇気を与えてくれたことに対する感謝です。
旅の途中では、もちろんいろんなことがありますから。エジプトでは最高気温が44度ぐらいになるので、まさしく体力勝負になりますし、通行人からちょっかいをうけたり、ここは撮影できないとか、自分と一緒でなければ撮影できないと言ってきたりする、あくどい商人たちとよくケンカしました。ルクソールの夜市では100人以上の子供に包囲されて、どうにもならなくなってかなり遠くまで逃げたのに、まだ追いかけてきてこづかれたり、国旗を引っ張られたり。
ナイロビの貧民窟では地元のギャングからみかじめ料を取られそうになって、僕らのボディガードと一触即発の事態になりましたし、インドでは警察官に連行されて、拘束されたこともありました。でも、もちろんどこの国でも、すごく良くしてくれるひとたちもたくさんいましたから。
最初のインド旅行で、警察に拘束された事件が報道されたこともあって、台湾に帰国した翌日から、たくさんの取材を受けたんです。で、記者のひとりに「今後も三太子を連れて外国での撮影を続けますか?」と聞かれて、僕は「いいえ、大変すぎるし、もう絶対こんなことはしません」と即答していました。
でもそれから3週間後には、youtubeにアップしたインド旅行の動画が、30万ビューを超えたんです! 「感動で涙が出ました!」というようなメッセージが次々と寄せられて。それで「ようやく自分の夢を追いかけるときが来た!」と考えるようになって。このビデオが、こんなにも多くのひとを感動させられたこと、その責任を感じるようになって、このストーリーを追い続けなければと決心したんです。
そうしていままでに53カ国を訪問し終えました。今回の4ヶ月の旅行では中南米、メキシコ、キューバー、コロンビア、ガテマラ、ドミニカなどを回り、これが終わると全部で65カ国来訪したことになります。2014年の後半には100カ国訪問が完了するはずなので、それからビデオと書籍を発表する予定です。
写真を見ても好青年の雰囲気がキラキラしている呉建衡さんだが、台湾国内では「あんなもん外国に見せるもんじゃない」と、顔をしかめるひとがたくさんいるであろうことも容易に想像できる。17キロの三太子の被り物を身につけて、灼熱の国の街角で踊ったりする行為が、「台湾という国をひとびとに知らしめること」にどれくらいつながるのかも、はっきり言ってよくわからない。
でも、文句をいうひとは動かない。くだらないことを真剣にやるひとだけが、じっとしていられなくて動きつづける。それが無駄な汗と涙に終わるかもしれないし、ときには奇跡にも結びつく。
分別ではなく無分別の素敵さを、呉青年は僕らに教えてくれているのかもしれない。
呉建衡youtubeサイト:
http://www.youtube.com/user/qzfadpwm/videos
武 動 乾坤 後記 在 武动乾坤第4季第975集: 熟人 的推薦與評價
![影片讀取中](/images/youtube.png)
林動在山洞間偶然撿到一塊神秘的石符,又在石符中發現一隻相助自己的天妖貂,從而走上了尋找祖符的逆襲之路,一個浩瀚的仙俠世界就此展開…… #武动 ... ... <看更多>
武 動 乾坤 後記 在 武動乾坤:林動突破祖境,進入大千世界後又發生了什麼? 的推薦與評價
Comments6 · 武动乾坤:林动老婆应欢欢上线,两人之间的爱情你了解多少? · 鬥破蒼穹:蕭炎飛升大千世界後,他和林動發生過什麼故事? · {鬥羅大陸V重生唐三} ... ... <看更多>